「平城宮跡地」で長安まで思いを馳せる。行ってよかった【大阪・奈良旅2024-8】

ジャスミンKYOKO

こんばんは、ジャスミンKYOKOです。

2024年に行った、「大阪・奈良旅」の続きの記事です。

店員に面倒そうな顔をされながら、淹れてもらったコーヒーとスイーツを堪能

熱波からの休憩で元気を取り戻した我々は、友達が行こうと言ってくれたこともあり、宿に行く前に「平城京」の跡地に行くことに。

↑奈良の商店街を通って、近鉄奈良駅へ向かう。

近鉄奈良駅のバス乗り場にやってきた。

後から考えれば、まっすぐ朱雀門すざくもんの方に行けばよかったのだが、14番から出るバスに乗り、平城宮跡地の北の端っこに着くバスに乗った。

雰囲気を楽しむだけって思ってたからね。

ここでたくさん歩いて足を使ったことを後で後悔するはめになるのである。

↑14番のバスに乗って、平城宮跡地へ。良かった、座れる。

京都のバスは座れることが珍しいが、奈良は京都に比べたらまだ観光客が少ないので、比較的観光しやすいからいいね。

前方に若い男子2人の欧米人が乗っていた。

おっ、彼らも平城京かな? スマホの画面が目に入り、平城宮跡地をグーグルマップで検索したのを観ていた。やはり一緒の目的地のようだ。

nimoca(ニモカ。福岡の交通系IC)で払えるのがありがたい、奈良のバス。

「平城宮跡・遺構展示館」のバス停で降りた。

先に欧米男子2人も降りていた。

この土塀は「遺構展示館」。

私たちは「平城宮跡地」には何もないことが分かっててあえて来ているけれど、外国人がこんなところまで来るのは、かなりの手練てだれとみた。

↑もう彼らの姿は見えない。

17時。跡地まで行き雰囲気だけ観てバスに乗ろうと考えていたが、調べてみるとさっきのバス停にバスは頻繁に来ぬようだ・・・。

それならこの平城京を縦断し朱雀門すざくもんというところまで出て、その前の広場近くにバス停があるので、そこから乗ろう。

あ、↑向こうに雰囲気ある建物がある!

宿へのチェックイン時間にはまだあるし。歩き出した2人。

ああーーー!!ここかあ。中大兄皇子なかのおおえのおうじの娘(元明天皇)が遷都した平城京!!(遷都710年)その中心の平城宮!(丸いのは柱の基礎の石)

「なんと(710年)大きな平城京」で覚えたなあ。

あれからだいぶ経って笑、ようやく、本物を見ることが出来た!

私がはしゃいでいると、付き合ってくれた友達も「楽しいね!」と言ってくれて一安心。

中大兄皇子は藤原宮ふじわらきゅう(法隆寺のある明日香村あすかむらにあった)で、天智天皇てんじてんのうに即位した後、大化の改新をしてそこで亡くなったから、この場所には来てないんだよね。

ここに遷都する前に跡継ぎ争いがあって、天智天皇が崩御後、大友皇子おおとものおうじ(天智天皇の息子)を暗殺して、天智天皇の弟(天武天皇)が実権を握ったのよね(壬申じんしんの乱。テストに出たね)。

兄ちゃん(中大兄皇子で天智天皇)、そんなの知らずに死んでよかったね・・・。

平城宮跡が世界遺産に認定されてから、当時の建物が再建され始めているらしい。

↑あれは平城宮の主な建物だった「大極殿だいごくでん」の門、「大極門だいごくもん」。

大極とは天空の中心を意味し、天皇がいる場所を差す言葉だったようだ。

↑ここに乗っかれる嬉しさ。

歴史の授業の習い始めは、「はよ戦国時代にならんかな」とばかり思い、飛鳥・奈良時代を軽く見ていた。

マンガで聖徳太子の時代を読んだら(この旅行のために予習)、なかなか血なまぐさくて、急に興味が湧いてきた。

↑平城宮の位置を表す石碑。一番下が大極殿。

ここはインフラが不便(川が遠いので飲み水も物資の運搬も厳しい)だから、後に桓武天皇かんむてんのう長岡京ながおかきょうに遷都したのよね。

天皇は一言言うだけでいいけど、引っ越しさせられる民は大変だよね。

建てる前に川が遠いことは計算しなかったのね笑。

この眺め、いいね。

来てよかったなあ、奈良。

ここは大極殿の跡。

ここで、会議とかしてたのかな(「光る君へ」を思いだしながら・・あれは平安京だけどね)。

冠位十二階かんいじゅうにかい(聖徳太子が定めた、能力で位を決める制度。服や烏帽子で階級が分かる)この頃まで受け継がれていたのかしらね。

会社と一緒で、TOPが変わると全部ひっくり返されて下は迷惑千万ってこともあるからね笑(いい方に変わるならいいけどね)。

下々の者が大極殿の方を見上げた図。

平城京は、とう(当時の中国)の長安ちょうあん(都)を模した都。

キングダムの都を真似したと思うとまた嬉しい。(長安はしんの時代は咸陽かんようと呼ばれた)

しん下僕げぼく。キングダム映画版では山﨑賢人やまざきけんと)から見た、しん始皇帝しこうてい、えいせい吉沢亮よしざわりょう)の図を妄想。 下僕が将軍に上り詰める夢って、考えてみたらすごいよね笑。

説明板などはこれから作られていくだろうから、あの欧米人は雰囲気味わうだけだっただろうけど、楽しめたかな。

早くにこんな建築技術があった中国はすごいよね。

まあ、日本もその後の猛追は素晴らしいけどね。

整備されて復原(ふくげん。文化財を改造される前の時点に戻すこと)したものがあちこち増えたら、また来たい。

さて、ようやく着いた「朱雀門すざくもん」。平城宮の正門です。

ここまで30分くらいかかったかな、色々立ち止まってたからね。

朱雀門への入場は16時までらしい。

TVのアナザースカイで、DOMOTO(元キンキキッズ)の堂本剛くんがここから平城宮跡地を眺めてた♪

奈良に来る直前だったから、そのアナザースカイは真剣に見た笑。

この朱雀門の下に座って、近鉄奈良線が走っていくのも見ていた剛くん。(近鉄奈良線は平城宮跡地の中を通る)

奈良にいた頃、その電車をよく使ってたらしい。(私もちゃんとここに到着する前、剛くんの電車観ました♪)

スズメじゃなく、朱雀すざくっていうとなんかカッコいいよね(スズメの漢字を書くが、中国の伝説の新鳥)。

ここから朱雀大路すざくおおじが始まってたのね。 

「朱雀門ひろば」はすごく広くて、お店やレストランもあった(この時は夕方なので閉まってた)。

大型バスがここに乗り入れるのかもね。

さて、この朱雀門ひろばの前にあるバス停からJR奈良駅に向かおうとしたら、まさかの、このバス停は16時以降もうバスが来ない!!

もう足が棒のようだったのに、そこから10分先のバス停「宮跡庭園・ミ・ナーラ前」まで歩くことに(泣)。

死にそうになりながら、ようやく到着。この日は確実に2万歩以上歩いてる。

そのバス停にいたのは・・・なんと、だいぶ前に先に行った、欧米男子2人がいて、ビックリ!!。

「運命やん」→大げさ

言葉を交わさずとも、勝手に親近感笑。疲れてたけど、ほっこり。

彼らは英語じゃなく、どっか東ヨーロッパっぽい言語を使ってるようだった。チェコとかハンガリーとかの人かな。

こんなところにこの時間にいるということは、迷ったのかな。それとも朱雀ひろばのお店がまだ開いていてお土産を買っていたのだろうか。

さて、ここからバスで「JR奈良駅」まで行きコインロッカーの荷物を取って、今夜の宿に向かう。

まだまだ過酷な試練が待ち受けていたのである・・・・。

今日の場所 「平城宮跡歴史公園」奈良県奈良市二条大路南

@平城京跡歴史公園

旅のMONEY

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