飛鳥時代と聖徳太子を身近に感じた「四天王寺」【大阪一人旅2024-5】

こんばんは、ジャスミンKYOKOです。

14時半過ぎに「KASUYA」に駆け込み、「かすうどん」を初めて食べておなかを満たした後、向かうは、飛鳥時代、聖徳太子が法隆寺より前に建てたという「四天王寺」の見学へ。

カッコいい!!

和風な黒い東寺みたいなお寺もいいけど、こういう平安神宮みたいな中国っぽいお寺もカッコいいんだよね。

ん?なんで寺に「鳥居」があるんだ?

鳥居はもともとインドでは「聖地結界」を示すものらしく、「神社」だけに建てると決まってるものでもないらしい。 ほお。

まずは手を洗います。

修学旅行の時は「寺巡り」が苦痛で仕方がなかったのに、変わるもんだ笑。

歴史は大好きだったけど、お寺の歴史には興味なかったんだよね。

↑「極楽門」。

これをくぐったから「極楽浄土」に行けるに違いない笑。

この日は風が台風なみにすごかったから、この極楽門にかかる暖簾(のれん)のはためき方が尋常じゃなくて、その暖簾を通した棒が落っこちてくるんじゃないかと思い、ここはサッサと通った笑。(何事も油断は禁物)

↑この極楽門を抜ける時に目に止まったのが、門の柱にあった、この車輪のような船の舵のようなもの。

「転法輪(てんぽうりん)」と言って、古代インドの戦車の車輪を型どったもので、「お釈迦様の教え」の意味があるらしい。

戦争に使うものがなぜ「お釈迦様の教え」なのかはイマイチわからんが笑、そう書いてあったのでそうなのだろう(適当に言うな、もっと厳かに言え)。

手でくるくる回せるので、外国人の人も回していた。

尊い教えが車輪のように回転して遠くまで広まる様を表してるんだって。

確かに「お釈迦様の教え」は、インドから百済(くだら。今の韓国の西側あたり)に伝わり、日本に538年くらいに伝わったのだからね。

その伝わったすぐ後に、推古天皇(日本初女性の天皇)の摂政になった、聖徳太子が593年にこのお寺を建てた。

風が吹き飛ばしたのか、雲ひとつない青空になっていた。青空に赤とゴールドの寺が映える。

今日は強風のため、線香の鉢にもフタがされていた(灰が吹き飛ぶからね)。

入り口で拝観料300円を払うと、中の「金堂」や「講堂」、「五重の塔」が見学できる。

↑払った人のみこの敷地に入れる。砂利が松葉ぼうきできれいに掃かれていた。

インターナショナルスクールの遠足なのか、日本人と外国人が入り混じった中学生くらいの子たちが楽しそうに入ってきた。

う、羨ましい。私もそんな学校があったなら絶対入りたかった!

↑左が拝観券、右がパンフレット。

高校の修学旅行では、真夏の京都の寺巡りに魅力を感じてなかったため、南禅寺などは門を観ただけで入らないなんてことをしていた笑(暑いから拷問みたいなのよ)。

由緒ありすぎるお寺は、メインまでが遠いんだよね、だからその前で脱落してた笑。

↑左が「金堂」。右が「五重の塔」。

しかし、大人になった私は違う。ちゃんと拝観料を払って中に入る(偉そうに言うな)。

歴史の授業では、縄文から飛鳥時代って波風立たなくてつまらなかったんだよね(波風大事笑)。

↑「金堂」。

下から観る姿も圧巻。デカイ!!

この「金堂」は、大きな「救世観音像(くぜかんのうんぞう)」とそれを守る「四天王像」が置いてあった。

↑京都ほどではないが、欧米人もちらほら。

欧米人はこの仏像を観て、タイの仏像とちゃんと違って見えるのかな。それとも同じに見えるのかな。

↑向かい側の「五重の塔」の階段を昇って、「金堂」を撮ってみたもの。

「金堂」の壁には、インドでお釈迦様が生まれた様子などが描かれていたが、艶めかしいインドの美女が大勢描かれていて、まるでインド映画『踊るマハラジャ』みたいだった(観てないけど笑)。

欧米人があれを観たら、「なぜ?日本の寺にインド人?」となるんじゃないかな。

↑屋根を支える支柱?が花の文様で素敵。瓦もセットで花柄がいいね。

京都御所は、ここが菊の御紋になってたから、細かいところで違いを出すのが繊細で素敵。

五重の塔がカッコいい。

この四天王寺は、日本最古の建築様式で、五重の塔と金堂と講堂が一直線に並ぶ、この頃に大陸で流行っていた伽藍(がらん)様式。

この「五重の塔」が「過去」、真ん中の「金堂」が「現在」、「講堂」が「未来」を表しているらしい。

ここの入り口に立ってお参りしてたら、中に入れそうだったので入ってみると、左側の通路に女性が二人、ビニール袋に入れたものを取り出したかと思うと空のビニール袋をダンボール箱に突っ込んでいた。

業者の方?かなと思い、なんだ入れないのかと思ってたら、

私の後ろにいた外国人が左側に行っていなくなったので・・・・・???ん?

もう一回左側の通路に戻ってよく見てみると・・・。

あーあのビニール袋は靴を入れる袋だったのか、女子2人は出てきて靴を取り出したところだったのだな。

外国人から「SDGsじゃない!」とお叱りを受けそうな、ダンボールの山ほどの使い終わったビニール袋に罪悪感を感じながらも、ビニール袋に靴を入れて中に入ると、螺旋階段がずっと続いていた。(堂内撮影禁止)

ギャー・・・昇れるかな??

なかなか狭い堂内なのに、階段が「上り」と「下り」に分かれているのはすごい。螺旋階段がこよりみたいに交差しながら続いている。

下りの人の様子も間近で見れるので、「はあはあ・・・きつい まだ?」声があちこちから聞こえてきて、疲弊の度合いがわかる笑。

堂の中は、永代供養なのか位牌が所狭しと壁一面のガラスケースに収めてあった。

外国人も圧倒されるだろうね。

一番上は天守閣みたいに外を一望できた。五重の塔の高さは39.2mらしい。

よかった、昇ることが出来たぞ♪ 

この3つの建物を取り囲む回廊もカッコいい。

洋風のお城の回廊もたまらないのだが、こういうお寺などの日本の回廊も素敵。

伽藍(がらん。お寺の敷地のこと)の向こう側には、聖徳太子の「宝物殿」がある。たくさんの「国宝」や「重要文化財」の書物が置かれているらしい。

↑これをのぞむ回廊の床には、発掘された、白鳳時代(大化の改新よりちょっと後)の「四天王寺の排水溝」がガラスで囲んで保管されていた。

これを元に考えると、聖徳太子が建てた頃と今の四天王寺の場所はほとんど変わってないんだって。

四天王寺は、豪族「蘇我馬子(そがのうまこ)」と「物部守屋(もののべのもりや)」が争っていた時、崇仏派(仏を信仰するタイプ)の蘇我馬子側に付いた聖徳太子が馬子の不利を打開するために自ら四天王像を彫ったことが始まりで建てたんだって。

聖徳太子って「神」みたいな人と思ってたけど、争いを仲裁するわけじゃなく物部氏を滅ぼす方を応援するとはなかなかのヤツやん笑(失礼なこと言うな)。

まあキリストも人間というし。(カトリックの人には信じたくない案件やろうけど)

朱塗りの柱って、高貴な感じがしてカッコいい。

ちゃんと「天上の虹(てんじょうのにじ)」(聖徳太子のマンガ)を読んできたら、感動もまた違っただろうなあ。

奈良に行くときは読んで行こうかな。

歴史の授業で聖徳太子にはまったく興味わかなかったけれど、専制政治を強行した「蘇我入鹿(そがのいるか。馬子の孫)」を中臣鎌足と中大兄皇子が暗殺して「大化の改新」をしたのを習ったくらいから、オッ日本史面白い!と思い始めたのよね笑。(人間の煩悩ゆえの行動や物騒な話に惹かれる)

↑金灯籠(かなとうろう)がカッコいい。

「四天王」って言葉は、色んなスポーツやマンガやらに例えで使われるよね。

モノマネ四天王とか、サッカーとか魔法とかのマンガでも強豪校や重鎮などを「四天王」と言ったり、表現で出てきたりするから、その点でも「四天王寺」に行けたというのは、嬉しい。

飛鳥時代や奈良時代には興味なかったけど、これでちょっと興味の扉が開いたかも。

今日の観光地 「四天王寺」 大阪市天王寺区四天王寺

@四天王寺

旅のMONEY

前回までのTOTAL38,300円
四天王寺拝観料300円
四天王寺 お賽銭200円
TOTAL38,800円