「寺田屋」へのリベンジ。坂本龍馬ファンの義務を果たす【京都桜旅2022-14】

さて、宇治駅からJRに乗り、寺田屋のある伏見へ

伏見の竜馬通り商店街を通って、寺田屋に到着した。

幕末と坂本龍馬ファンの私にとっては、とっても重要な場所。

最近は(今回の旅もそうだが)、おなかがすくと観光ができなくなる男(パートナーのK氏)の対応措置は慣れたものだが、前に寺田屋に一緒に来た時は絶望した笑。

このくらいも我慢できないのか、この男・・・と。

「そんなのいつまでも見ないでいいやん。オレ先に店(ご飯を食べる予定の居酒屋)に行っとくけん」みたいなことを言って立ち去ったのだ。

私が寺田屋にいたのはわずか1分である(夜で閉まっていたため、建物の写真を撮っていただけ)。

たった数分も待てない、自分のおなか優先の男に衝撃を覚えたのである笑。(その後はもちろんケンカ)

寺田屋の横から観た図

今回は満を持してリベンジ訪問だ。K氏もそれをわかっているので、「えー行きたくない」などとは言わない笑(言えない)。

ほんと、こいつは幕末に興味ないんだよな。

寺田屋の桜

寺田屋の桜はもう、葉桜になりかけていた。きっと咲くのが早かったんだろうな。

今でもここに泊まれるらしいから、すごいよね。(1泊素泊まり6,500円)

ちょっと泊まる勇気はないかも^^;。

寺田屋の表の入り口

坂本龍馬が切りつけられた事件の4年前にももう1つの「寺田屋事件」があって、薩摩藩士がここで同じ薩摩藩士を斬殺してるからね、亡霊が出たら怖いもん。※

※薩摩藩主の島津久光は、幕末に倒幕か公武合体(幕府と朝廷を結びつける考え)とで揺れ動き、倒幕に動きすぎる薩摩藩士の過激派の動きを封じるため、寺田屋に刺客を放った、9名の志士が犠牲になった。

⇧薩摩九列士を祀った碑(左)と、坂本龍馬像。

切られた9人の志士は「薩摩九烈士(さつまきゅうれつし)」と呼ばれ、祀られている。

同志に殺されるなんて、浮かばれないよ(泣)。

⇧表玄関の横にも史跡の碑が立っている。

寺田屋の表の入り口

寺田屋の表の入り口には表札があって「坂本龍馬」と書いてあって嬉しい♪

館内を見学するには、裏口から入って、帰りはここから出るみたい。

「寺田屋」は現役の旅籠(はたご。旅館のこと)なので、夕方からは宿泊客が来るためか、見学は15時40分までで終了。

京都に旅行していて、この寺田屋だけ、「京都のコロナ追跡システム」に登録させられた。(自分のメールなどを登録。面倒だったのでK氏にさせた笑)

参観料は400円。

さあ、幕末の影の功労者「寺田屋」にいよいよ訪問。

靴を脱いであがります。

受付にある掛け軸

まずは入ったすぐの2階へ上るのが順路。

ここをおりょう(龍馬の恋人。寺田屋で働いてた)が裸であがって行ったのかな♪

※刺客が来たのを知らせるため、お風呂に入ってたおりょうが裸で階段をあがり、知らせたらしい。(NHK大河ドラマの龍馬伝では真木よう子)

階段横の龍馬の写真のポスター
⇧寺田屋のチケット

寺田屋のチケットは、龍馬の故郷、土佐藩(高知県)の藩札(藩で使用するお金)を模して作ったものらしい。

長州と薩摩は異国が来たのをきっかけに、日本の危機を感じ、いち早く倒幕に動く。

ただ、山内容堂(土佐藩主。龍馬伝では近藤正臣)はまだ幕府側か倒幕派かどちらに付くか迷っていた。

土佐では、武市半平太(たけちはんぺいた。龍馬と最初は同志。龍馬伝では大森南朋)が容堂に勤王(きんのう。天皇制時に戻すこと)に動くよう働きかけていた。

が、容堂は幕府に動きをさとられないため、半平太を投獄し、切腹させた。

龍馬は土佐藩から脱藩(だっぱん。藩をだまって抜け出すこと)してたので、京都にいて助かったけどね。

薩摩藩と仲良くしてたので、薩摩藩御用達の寺田屋をすすめられ、宿泊してたのだった。

龍馬がここに泊まってたなんて!!(嬉)。

時代にメスを入れるタイプが好きな私は、坂本龍馬を知る度ににおおいに惚れ込んだ。

⇧寺田屋は宿でありながら三十石船(さんじっこくぶね。米を三十石積めるから。)を持っていた。

龍馬が刺客に襲われた時、材木置場に身を潜めた後薩摩藩邸に逃げ込むのに使ったのも寺田屋の船らしい。

薩摩藩士は「ちぇすとー!!」って言い合ってたのかなあ(薩摩藩士の掛け声)。

寺田屋で、眠っていた幕末の知識が呼び戻された。

「わあ!刀痕だ!!」

柱に残る刀の痕。 ちょっと思ったのは、「刀痕」の字、もうちょっと達筆な人に頼めなかったのかな笑。

できれば毛筆で、木の表示にしてほしかった・・・笑。

さあ、いよいよ坂本龍馬が気に入っていた部屋、「梅の間」。

こ、これもマジックじゃなくて・・・毛筆が良かったな笑。

龍馬がいた「梅の間」は通りから見えない一番奥の部屋だった。

両サイドに窓はなく、庭を眺める窓のみ。

幕吏から目をつけられはじめていたから、この部屋にしていたのかもね。

なんとも微妙な飾り方だけど、まあいい♪(土佐藩出身だから土佐犬・・・安易すぎる笑)

掛け軸の絵は女将のお登勢が街の画家に頼んで、龍馬の肖像画を描いてもらったものらしい。

「梅の間」を定宿にしてたから、偽名を「才谷梅太郎(さいたにうめたろう)」にしてたのかな。

※才谷は龍馬の本家が「才谷屋」という質屋を営んでいた。

龍馬が高杉晋作(長州藩の志士。龍馬伝では伊勢谷友介)からもらった拳銃のレプリカもある♪

おりょうが、機転をきかして教えてくれなかったら、龍馬はこの寺田屋で死んでたよね。

幕吏と応戦するときに使ったのが、この高杉晋作が上海で買って龍馬にプレゼントした銃。

龍馬が眺めたかもしれない中庭の窓からの眺め♪

この寺田屋での騒動は、龍馬が「薩長同盟」を密かに結ばせた後に起こった事件。

薩長同盟が1866年1月22日、龍馬が寺田屋で襲われたのが1月23日。

長州藩の長槍の名手、三吉慎蔵(みよし しんぞう)も一緒に泊まってたからよかったよね。

⇧1月23日の龍馬の受難の様子が描かれた絵。

この時、龍馬は指の間を刀で深く斬られ、化膿してなかなか治らず長い療養生活をおりょうと送ることになり、結婚した。

通りに面してる部屋も見てみた。

通りに面してる部屋は二間続きにもできるように、縁側はつながっていた。(梅の間は二間続きにはできない)

幕吏(見廻組)も、犬猿の仲の「長州(山口)」と「薩摩(鹿児島)」が同盟結ぶなんて、誰か後ろにいるんじゃないかと思って龍馬に目つけてたんだろうね。

⇧通りに面した窓の縁側。

龍馬の部屋を観た後、1階に降りる時、あったあった!!

おりょうが裸であがって、危機を知らせた階段が!!

寺田屋って2つ階段があったのね♪

私も福山雅治を助けるためだったらやるわ!(龍馬伝では福山雅治が龍馬を演じた)

1階に降りると、寺田屋のトイレがあった。

⇧わあ、昭和の家っぽい♪(廊下の突き当りがトイレ)

⇧寺田屋の女将、「お登勢(おとせ)」の部屋(1階奥)。

幕末に、そういう志士の人を受け入れるというのは、こういう事件が絶えないだろうに、お登勢さんはたくさんの志士を受け入れ、逃した。(龍馬伝では草刈民代)

すごいわあ、とうとう寺田屋に来たんだわあ、私。

感慨深く部屋の1つ1つを眺めながら進んでいた時、K氏が言った。

「KYOKOちゃん、確か、寺田屋は消失してるよ!だからあの刀傷も弾痕も偽物!!」

きさま・・・・無粋なことを言うんじゃない。

⇧1階の龍馬関連の資料がたくさんある部屋

「今、言わなくていいじゃない」

その時、そう言ったよ、確か。

その後、1階の龍馬関連の資料室で、お互い別々に資料を読んで楽しんだ。

 ⇧若き志士たちの写真。みんな子供みたいなのに日本を変えるのに尽力したんだね。

K氏もじっくり資料を1つずつ観てたので、私は少しは興味が出てきて幕末に思いを馳せているのかと思っていた。

「KYOKOちゃん、来て!」

何やら面白そうな資料を見つけたのかと思って近づいて行ったら。

「ほーら、寺田屋消失してた!!オレの言ってること正しかったやろ?」

寺田屋が一度消失してることが発見された2008年の新聞記事の小さな紙切れを指差していた。(鳥羽・伏見の戦いで消失し、明治になって再建された)

なんや、お前、幕末に思いを馳せてたんじゃなく、証拠を探しとったんかい。

「ね?刀傷も弾痕も偽物なんだよ」

お前ってやつは。怒

そんなことはどうでもいいんだよ。それはいつかネットで知るよ、でも今はようやく寺田屋に来れたことを楽しみたかったんだよ。浸りたいんだよ。

「今、言わなくていい」って言ったよね。

一度ならずも二度目まで、気持ちを踏みにじりやがって。

見廻組よ、お願いだ、あいつ⇧を斬ってくれ。(興味ないくせに坂本龍馬像を撮っているK氏)

今日の観光名所「旅籠 寺田屋」 京都府伏見区

@寺田屋

旅のMONEY

前回のTOTAL   25,082円 

寺田屋参観料      800円(400円☓2)

TOTAL      25,882円