大阪の天王寺から、大和路線に乗って奈良に到着しバスで奈良公園あたりまでやってきた。
高校の時に日帰りで来た(宿泊は京都連泊)ので、奈良の印象があまりないが、ただ、大仏だけは「デカッ」と思った記憶がある。
その大仏に再会する、今回の奈良旅。
さて、まずは仁王(金剛力士像)が待つ、東大寺の南大門へ。
鹿と戯れる欧米人をキュンキュン横目に見、名物「鹿のフン」をよけながら、進む。
「あ!それ 出来立て!」
出来立てのフンだけは踏みたくない二人は注意しあう笑。
今はスピリチュアルやパワースポット特集などが組まれるので、若い女子も神社仏閣に興味ある人が多いんだろうね。
私は地元の神社以外、観光地で神社仏閣に行くなんて20代では考えられなかった。
人間にまとわりつく奈良のシカ(↑こういうの)より、北海道のカヌーの時に森にひっそりといた野生のシカを観たときの方が興奮したな。
でも一応写真を撮っていると、友達が「あーーシカを撮ってる!!」
珍しいものでも観たかのように笑う笑。
雄鹿がいいけど、こういうカワいいシカも一応ね笑。奈良に来たんだから。
うわあ、デカい!!!南大門ってこんなにデカかったっけ。
奈良時代にこんなの作るなんてすごいなあ。弥生時代からどうやったら急にこんな技術が身に付くんだ。
やはり邪馬台国の頃から大陸と貿易してたから色んなものがもたらされて、こういうものが作れるようになったんだろうなあ。日本はだいぶ遅れてたから。
この南大門は平安時代に大風で倒れ、鎌倉時代に再建されたものらしい。
↑阿形(あぎょう)像(国宝)。
仁王像!!運慶快慶!金剛力士像! すべての歴史の知識を総動員してみる笑。
↑吽形(うんぎょう)像(国宝)。
二体で「阿吽(あうん)の呼吸」ってことね。
沖縄のシーサーも家の門を守るから、この仁王像から阿吽の口の形になったのかな。
運慶(うんけい)と快慶(かいけい)はこの金剛力士像を作った鎌倉時代の人。
試験に出てきたなあ・・・と懐かしむ。
金剛力士像といえば、マンガ「北斗の拳」のケンシロウの家の寺院にあった笑。
ラオウに父リュウケンが殺された場所。
後は、「羅漢仁王拳」!!!(デビルリバースという巨人が使った拳)
すまぬ、スピリチュアルなとこでこんなエゴな世紀末の話をして笑。
南大門をくぐると、東大寺の大仏様の実寸大の手のレプリカが。
デカッ!!孫悟空もこれは手のひらで転がされても仕方ないね笑。
ここは「中門」。
「まだか、大仏は。」高校の修学旅行の時はこう思った。
高校の時は、寺に興味もないのに真夏の暑さも手伝って、境内が広くてなかなか本尊に近づけない京都や奈良のお寺のデカさに嫌気がさしてたな笑。
あの時の真夏より今の方がきっと暑いが、楽しく寺を周っている自分に驚く。
小学校の時から「日本史」は大好きだったけど、「信長」とか「足利尊氏」とか「源義経」などの切り込み隊長みたいな人ばかりが好きだったので笑、宗教や寺の歴史は脳内素通り笑。
あーーーーっ 見えた!!
中門の左端が入り口になっていて、拝観料800円を支払う(現金のみ)。
堂本剛もこんな角度から東大寺を見て、特別に回廊を歩いていたなあ。(TVアナザースカイの話)
ここでLIVEやらせてもらったなんて、東大寺から信頼されてるんだろうね。
大阪の「四天王寺」に行って聖徳太子に興味を持ったことが、この「奈良旅行」につながったので、これからも連鎖的に日本の色んな場所に行きたいな。(日本史がらみの場所がいい)
それにしても聖武(しょうむ)天皇、すごい!(まあ、実際建てたのは大工さんと労働者だけど)
東大寺の歴史を改めて調べると、東大寺はもともと国分寺だったのか。
これも試験に出てきたなあ。「国分寺と国分尼寺」を全国に建てようと詔(みことのり)を発したのよね。
9月なのに、アホみたいに暑い。しかし、頑張る!ここまで来たのだから笑。
そのおかげでこんなに青空が撮れたと思おう。
あの屋根の「しゃちほこ」は、この時代の流行りだったのかもね。
東大寺を建てた聖武天皇の時代も、平安時代同様藤原氏が勢力を握ってて、聖武天皇の側近だった長屋王(ながやおう)を藤原氏が謀反のデマで自殺に追いやった(長屋王の変)。
その後、長屋王を死に追いやった藤原四兄弟が天然痘で相次いで死ぬなど(長屋王の祟りかな)、聖武天皇もほとほと疲れてたから東大寺を建立させたのかな。
藤原氏はのちの道長の先祖だろうから、やっぱりこの頃から出世争いのプロだったのね(『光る君へ』を観てからというもの道長を勝手に身近に感じてる私笑)
昔の人は災いが起こると、祈祷したり、仏像を造らせたりしてたよね。
天皇においては、「詔」一つでお寺を建てることが出来るからすごい。
デカいーーー!! 凄い!!
↑二度の大火をまぬがれた、天平(てんぴょう)時代からある「八角灯篭(はっかくとうろう)」。聖武天皇も触ったのかな。
東大寺の大仏様がある金堂(こんどう)は、二度消失。今の金堂は江戸時代に建てられたものらしい。
圧巻!! これはすごい。
木造の素晴らしさというか、ヨーロッパの石造りも素敵だけれど、日本の木造建築の美しさも素敵だなあ。(こんな風に感じる私の変化にも感動)
ブラピが来るはずだわ(ブラピは建築が好きでよく京都にお忍びで来てる)。
↑お線香を焚いて、いざ、金堂の中へ。
デカい!!(そればっかり)
15mはすごい。「盧舎那仏(るしゃなぶつ)」という仏様の最高ランク。
この盧舎那仏が造られたことで、国分寺がグレードアップして伽藍(がらん)が造られたんだって。(伽藍とは、お寺の仏塔を中心とした建物群の総称。建築様式)
横から見るとさらにド迫力。
キアヌ(リーブス)の映画の『リトル・ブッダ』を観て、「釈迦誕生」を学ばねば。(キアヌがお釈迦様の若い時を演じた)
↑聖武天皇。この頃の天皇の恰好って、中国の皇帝の影響受けてるよね。
「キングダム」のえい政(秦の始皇帝)みたいな数珠をたくさんぶら下げたような帽子をかぶってるからね。
↑盧舎那仏(るしゃなぶつ。東大寺の大仏様)の左に鎮座する「虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)」。
後から法隆寺のガイドさんに習ったことだけど、釈迦の親衛隊みたいな感じね、菩薩さまは。
↑「虚空蔵菩薩」の横の姿。
京都の東寺の金堂では、写真は撮れなかったけど、ここはフラッシュたかないなら撮っていいからありがたかった♪
あ、少林寺みたいなお坊さんが!ブータンとかインドからはるばる来たのかな?
私みたいな煩悩だらけの人間からすると笑、若い時からお釈迦様に身を捧げるなんて、すごい!としか言いようがない。
お坊さんの教科書の悪い例として私みたいなのが載ってるかも笑。
行ったからこそこの目と写真に焼き付けることが出来た、大仏様の後ろ姿。
↑大仏殿の中にあった、「広目天(こうもくてん)」の像。四天王のうちの一体)
「天」はお釈迦さまのガードマンの役目。
↑大仏様の右となりは、如意輪観音(にょいりんかんのん)。これも菩薩さまで、釈迦となって出家する前の王子という設定(設定というと怒られるかな?笑)。
まさしく、キアヌということですな(映画でわかる私。)
出家する前の王子ということなので菩薩さまは「派手」なのだ♪うんうんわかってきたぞ。
↑東大寺の伽藍のミニチュアもあった。
↑大仏殿から中門を観た様子。堂本剛くんとライブしてるギタリストの気分。
中門にあった売店にあった東大寺のマグネット。
友達はマグネットを集めてるらしく、凝視していた笑。
しかし、ここでは買わず。
でも旅が終わった後、「あそこで買っておけばよかった」と言っていた。
修学旅行以来の、奈良の東大寺、ほんと良かった。
時間あれば、東大寺ミュージアムも観るといいかもね。
小さな仏殿もあちこち建ってるので、それを観て回るのも良さそうです。
私たちは、東大寺はここの大仏殿で終了したけど、大満足であった。
今日の場所 「東大寺」奈良市雑司町
旅のMONEY
前回までのTOTAL | 51,889円 |
東大寺 拝観料 | 800円 |
TOTAL | 52,689円 |
こんばんは、ジャスミンKYOKOです。