世はチキンタツタ時代!ランボーとの向き合い方【ジャスミンKYOKOの煩悩メモ】

こんばんは、ジャスミンKYOKOです。

今日の記事は最近2回連続で食べた、大好きな「チキンタツタ」。今回はワンピースとコラボしています。

K氏が「ちょっとー暗いよ、KYOKOちゃん。今日はKYOKOちゃんが好きな、全然面白くない断捨離番組を観たっていいよ」

思いの外、月火の絶望感を引きずり、1週間ため息ばかりついてる私に、慰めにもならん嫌味なことをいうK氏笑。

「ね、北海道さ、カニ食べ放題が良くない?」

・・・・・。(まだ北海道のことを考えきれないでいる私)

友達がいないのに、とっても楽しそうである笑。

あの生き方もありか。

↑待望のチキンタツタ♪

この1週間、気もそぞろで、仕事も超ハード。間違えてないかが心配だから、ようやく気持ちに一区切りがついたので、明日また先週の分を見直そう。

私は長年色んな集まりを取りまとめてきた。気軽なものからサークルっぽいものまで。

私は予約したりするのは苦にならないので、率先してやってきたけれど、月曜日は東京鎌倉のテンションも手伝ってか、関東から帰ってくる映画の会メンバーに会う食事会、GWなのに早く予約しないと!と頼まれてもいないのにかってでたのだ。

かってでなければよかった、と後から思った。

1人の断り方が気になった。

私は羨ましいのもあったのかもしれない。

長い間取りまとめてきた私は「行きたくないから行かない」という選択肢はないからだ。

主役の人もいるグループラインで、引っかかる理由だったので、つい一言言いたくなった。

KYOKOさんは厳しいから、今度から断りにくいなあ、怖いから先に予定を言うのを辞めておこうと思った人もいただろう。(私がチクっと言ったのはこの10年間で今回初めてだけどね)

ただ私はキャンセル自体にはなんとも思ってないのだ。もう慣れすぎて麻痺している。あれよりもっとひどい断られた方もされたこともある。

彼女にもきっと悪気はなかっただろう。ただもうちょっといい方を考えてほしかった。

主役の人を傷つけない思いやりを持ってほしい、ただそれだけだ。

ただ、その後の彼女のティーンのような反撃に衝撃を受けた。

↑ナミやロビンじゃなくてよかった♪ ルフィパッケージのチキンタツタセット。

言いにくいことを言うのは勇気がいる、それも自分が心底好きな会の好きなメンバーにあてて言うのはね。

子連れのお母さんにどうか客観的に頭の片隅に置いててほしいのは、

「子供を連れてきていいですか?」と聞かれたら、女の人はまず100%断りきれない、ということだ。

これは女の30代以上のグループが必ずぶち当たる問題だ。男が同じくらい子育てして率先して子供を見てくれるならこの問題は起きない。

断った時、ものすごい罪悪感が残るのもこの質問だというのも今回でよおくわかった。

↑チキンタツタ2回目。今度は「おろしチキンタツタ ゆず風味」。ゾロのパッケージで幸せ!リニューアルしたミーナ天神店で。

こういうことが起こった時、弱く見える人の方に応援が行くのは今まで散々観てきた。振り回された方は私なのに。

だから日頃から弱い人の雰囲気を出しておけばいいのかもしれないが、それができない。

でも私だけはこれからもずっと、取りまとめる人の味方でいようと思っている、どの団体に所属しても。孤独だからね。

だからずっとランボーが必要だった。

↑ゆずおろしも美味しかったけど、やはりノーマルが美味しいと思った。

怖いと思われて、私のことを励ましてくれる人はいないだろうと思った。

JちゃんからすぐLINEが来て、「KYOKOさん、この2日間、調整役お疲れさまでした」とLINEが来た時は「ありがとう、涙が出そう」と返したが、本当は泣いていた。

バスの中で泣くなんて超カッコ悪い。

それだけ私は映画の会が大切だったんだなあ、もうエマニュエル※過ぎて気色わりい。

※『グレイス・オブ・ゴッド』で、教会からの性的虐待で心を閉ざしていたエマニュエルという青年が訴えを起こす団体に出会ったことで心を開き、みるみる明るくなり、会にのめりこんでいく。そんな会が分裂し、生きる意味を見失っていく。

映画の会のメンバーが素晴らしいのは、そんなことが起きても、注意されたその子をかばって私をハブらないことだ(→今まで誰かを注意したら、私の方をハブるヤツ多数笑)。

ここが普通の女の集団と違う、私が好きな部分だ。

精神的に参っているのに、映画の会を開催しなければならない私に、土砂降りなのにAちゃんがホットコーヒーを両手に抱えて持ってきてくれた。

「『マイ・インターン』のデニーロです♪ スープじゃないですけど笑」

もう、最高! アン・ハサウェイばりに心が温まって、あと少しで涙のアスワンハイダムが決壊しそうだった。私も誰か傷ついたらそれをしてあげたいと思った。

↑ジェリー好きの友達からもらった、大好きな八天堂のくりーむパン。

30日、遠くから帰ってくる映画の会メンバーのM.Tちゃんとの食事会の前にMちゃんと会ったが、しょっぱなから「ランボーとちゃんと向き合ってませんでした!!」

私はサンマルクカフェで大笑い。

ブログを読んだらしく、『ランボー』の1作目を初めて観たMちゃんは、ベトナムになかなか行かないから、とまどったらしい笑(1作目はアメリカの田舎の山中で、最低な保安官たちとの死闘)。

私の暗黒の時代を救ったランボー1作目を初めて観て「あんなに悲しい話だとは思いませんでした!」

都合のいいことにK氏が早めに寝てくれたので、音量上げて『ランボー』を今回久しぶりに真剣に観たおかげで、スタちゃんのキレッキレの動きを見れて、理不尽極まりない保安官を全員1人ずつ森の中でやっつけて行く姿を観て、元気が出た。

理不尽さにぶち当たる度にランボーを観て勇気を出してきたのだ。

『ランボー』のツッコミどころをMちゃんと爆笑しながら話して「こんなバカ話最高ですよねー」

ほんと、元気がみるみる出た。私がブログに書いてた「しいたけ占い」まで読んで寄り添ってたのには笑った。

「KYOKOさんの暗黒の時代の話、笑っちゃいけないと思いつつ、笑っちゃうんですよねー」

そう、それでいいのだ。もうあの悪夢のような出来事は笑い話に昇華することで、ネタにしているんだから。

今回のことも、みんなのおかげで昇華できそうだ。

じいちゃんの葬儀の時に疲れて買った「人のために頑張りすぎて疲れた時に読む本」にも今回助けられた。

■なぜ そんなにも人の気持ちを考えてしまうのか
■なぜ、よかれと思って人に合わせてしまうのか
■なぜ、場の空気を読んで自分の思いを我慢するのか
■なぜ、それだけ相手のためにエネルギーを使えるのか
■なぜ、相手の気持ちを察することがそんなにもできるのか

それは「人のことが好きだから」では ないでしょうか?

どんなにやられても、人付き合いをやめないのは、傷つけるのも「人」だけど、喜びを持ってきてくれるのも「人」だからだろうね。