『対峙』(ネタバレ感想)対話劇で描かれる銃乱射事件の親の感情。置かれた環境を知る努力と互いに向き合うことの大切さ

こんばんは、ジャスミンKYOKOです。

アメリカの深刻な社会問題、「銃乱射事件」の加害者と被害者の保護者の対峙と聞けば、アメリカを愛する身としては、闇も知っておく必要があるので行かなければ!!ということで行ってきた。

しかし、もっと重要な動機は、「ジェイソン・アイザックス」が出てたこと♪(もっともらしい理由を先に言うな)

⇧ジェイソン・アイザックス(Wikipediaではアイザックスの「ス」がついてたので、あえてこう書きます。

映画『ホテル・ムンバイ』で、人妻を守り抜くカッコいいロシアン・マフィアを演じた彼を観てからというもの、私の推し俳優に彗星のように加わったのだ。(→単純)

1つの部屋で、加害者と被害者の保護者が、ずっと話し合うというスタイルなので、対話劇が苦手な人にはちょっとキツイかも。

なかなか本題に入らないので、最初はちょっと眠くなったけど、後半の盛り上がりはすごくて、泣いちゃいました。

でもね、ジェイソン・アイザックスは、アメリカの田舎のお父さん役は、しなくてもいいなと思った笑(どちらかというと加害者側の冷たい都会的なお父さんの方が似合うと思う)。

こんなに銃乱射事件が多発しても、政治家の利権のせいで銃を規制することが出来ないアメリカの現状を背景に感じつつ、日本人とは違う価値観が感じとれるのが興味深い映画です。

映画『対峙』の評価

私の個人的な思考による評価です笑 星は7段階で評価します

私の評価★★★★☆☆☆
観るのにオススメな人⚫対話劇が好きな人
⚫ジェイソン・アイザックスのファン
⚫アメリカの社会問題に興味がある人
暴力性・残虐性☆☆☆☆☆☆☆
全編会話劇なので、銃の乱射事件の再現シーンなし
エロ度☆☆☆☆☆☆☆
感動度★★★★☆☆☆
子供が被害者でも加害者でも親は苦しむ。それでも前をむこうともがく姿にラストは涙が出ます。

『対峙』ストーリー

教会の小さな部屋での「高校で起きた銃乱射事件」の被害者と加害者の保護者の対話を再現シーンなしの対話劇のみで描かれる。

高校で生徒が、同級生を殺傷した銃乱射事件から6年が経ったが、息子を殺されたペリー夫妻は未だに立ち直れず、セラピストから加害者の保護者に思いを打ち明けてみては?と勧められ、会うことにしたのだった。

ここから先はネタバレ感想です。

『対峙』ネタバレ感想

全編会話劇とは思わず、再現シーンがあるだろうと思って観に行った。

すると、教会の1室で夫婦2組で繰り広げられる会話劇オンリーだったのが衝撃で、ちょっぴりガッカリしたが、それと同時にやっぱり俳優ってすごいなと改めて思った映画だった。

最初はテンション低めでお互い遠慮がちなんだけど、会話が進むにつれて少しずつ生の感情がくすぶり最後は爆発するところを会話だけで表現するなんて。

あまりの迫力に役じゃなくて本当にお互い傷つきそうだった。

教会の人とセラピストの準備の違いが観る人に緊張感を生む

銃乱射事件で亡くなった被害者の親夫婦(↑左上)と、同級生をたくさん殺した後自殺した加害者の親夫婦(↑右上)が、田舎の教会の1室に集まる。

部屋を貸した教会の女性のほのぼのとした雰囲気とは対象的な、この会合を組んだセラピストの神経の張り詰め方の違いに観ていて緊張感が走る。

部屋に用意してあった、ふんわりした平和なインテリアを外したり、美味しそうな食べ物を外したり、聖歌隊のオルガンが部屋まで聞こえるかを確認したり。

教会の人が良かれと思って用意したものを次々と排除していくサマを観て、それだけの神経の高ぶりが予想される場であるんだなと見てとれた。

日本人は加害者の親と対話なんかしたくない人が多いんじゃないだろうか。対話どころか、顔も見たくないと思うのが多い気がする。

息子が殺されて6年経ったが、踏ん切りがつかず前にも進むことが出来ない夫婦がセラピストに相談し、加害者の親に会おうと決心する。

日本だったら、セラピストがそんなこと勧めなさそうな気もするし、そもそも勧められたからって、会ってみようなんて感情が湧くだろうか。

犯人が生きてたら極刑にすることで、少しは怒りを紛らわせることができるのかもしれないが、加害者が自殺してる以上、怒りと悲しみの矛先がないのは辛すぎるよね。

加害者の親の方も、被害者の親になんて会いたくないはずだ。

罵倒されるのは目に見えているし、それに対し自分たちの方が反論するのは許されるはずもなく、世間からの白い目から耐えてきたのに、6年も経ってまた傷つきたくないだろう。

セラピストが間に入ると思いきや、本当に4人だけでの話し合い。

殺し合いとかにならないのー?とか怖くなるよね。

それが「教会」を選んだ理由なのだろうか。神様の前では殺傷など出来ないからね。

夫婦の役割は、夫婦ごとに違う

加害者側の母親が、最初にドライフラワーをアレンジしたものをプレゼントする。

なんで持って帰ったら思い出すようなもんをやるんだよー。

そうツッコミたくなったが、誰かに会うときは贈り物をする人なんだろう、素直な気持ちで用意したに違いないと会話を進めていくうちにわかってくる。

それに対し父親の方は、「オレの家族に限ってこんなことをするなんて」「こんなことで築き上げた地位を失いたくない」と叩き上げのエリートのような気迫が感じられ、自分の人生をすべてなかったことにしてしまうような息子の事件をまだ受け入れられていないように見えた。

だからかな、共感しやすい母親のキャラと違い、冷たい感じがする。

素直になれない人や誤解されやすい人って、叩き上げで仕事を頑張ってきたお父さんには多い気がするな。

とにかく「良い暮らしをしたい」目的だったちょっと前の時代では(日本でいうことの昭和)、「モーレツ社員」と言われるような長時間残業をいとわず、家族に欲しい物が買ってやりたいただ一心でお父さんたちがんばって来たからね。

当然、家庭はおざなりになり、専業主婦の母親に任せっきりになってしまいがち。

息子の変化にも気づけないし、それに気づいた母親の悩みにも耳を傾ける余裕なんてない。

アメリカ人は日本のお父さんとは、また違うかもしれないけれど、時代的に似たような仕事との向き合い方をしてきたはずだ。

力強い夫が、か弱そうな妻を支えているように見えるけど、人に寄り添える妻の方が実は夫の精神面を支えている気がした。

今は世の中が裕福になり、自分の生き方を考える余裕が生まれたことで、残業はしすぎず、自分の時間を見直したり、家族に向き合おうとするお父さんが増えてきたよね。

被害者側のペリー夫妻(ジェイソン・アイザックスら)は酪農家で、夫婦共働きが前提。 

お互いの親としての苦労や仕事の大変さを間近で見ていられるから、わかり合いやすい。

どちらかが不在ということもあまりないから子供にも向き合いやすいじゃないだろうか。

息子は2人から愛されて育てられてきたんだろうなと話しぶりや表情で感じられる。

だがあの事件により、夫婦の心にポッカリ穴が開いてしまった。

ペリー夫妻が、相手を責めようとしはじめて深呼吸して抑えたり、加害者側の子に対する気持ちを真摯に聞こうとする姿に、今生きている子どもたちのためにもなんとかして前を向きたいという思いが、ヒシヒシと伝わってきて涙が出ます。

日本人では、この展開にはならない

日本人なら、加害者側と対話はしない人が多いと思うが、したところでこういう展開には絶対ならないと思う部分がある。

最初は、社会人としての抑制があるからか、対外的でぎこちない会話がしばらく続く。

こういう状況の対話なら、感情が高まった被害者の親が罵倒して「息子を返せ」と叫んで責め立てる場面を想像する。

でも6年経過した彼らは、その怒りの感情のはけ口を求めて集まったわけではないのだ。

それでも加害者の息子が、事件を起こす前に爆弾を作ったことを知ると、それを警察に相談したのかというような問い詰める部分はあるが、お互いが愛した息子がどんな子だったのかを写真を交えて話していく。

並々ならぬ覚悟で会った被害者夫婦は、加害者の母親の一人息子への愛情をたっぷり聞くのだが、よくそんなことが出来るなとビックリ。

ここが本当に、個人主義のアメリカらしいところかもしれない。

加害者がしたことは許されぬこと、しかし母親が息子を愛する気持ちは、それはそれであるはず。あっていい。

・・・ということを理解してあげることが出来るのだ。ここが日本人にはなかなか真似できないことじゃないだろうか。

日本では加害者の親は、被害者家族からはもちろん、何の関係もない大衆からも「親の育て方が悪い」と非難されてしまう。

女優の高畑淳子の息子がわいせつな事件を起こした時の彼女の会見を観た時、欧米の親みたいだ、と思ったことを思い出した。

「大切な息子なんです。私はどんな時でもあなたのお母さんだからと息子に言いました」

日本は「愚息が」という言葉があるくらいに、身内の話をする時は何もしてなくても、卑下して表現することを良しとする文化がある。

そんな日本で、性犯罪を犯した息子に励ますような言葉をかけたと記者会見で言ったので、批判が殺到してしまったのだ。

しかし、この『対峙』では、犯罪者であっても親の愛情は変わることはないし、それを口にしていいのだ、と描く。

日本は「それはそれ」が出来ない国だからね。

高畑淳子さんのは、「日本じゃそれは言わないほうがいいけどなあ」とヒヤヒヤしたけれど、そういう加害者側の親の感情の行き場も作ってあげれるように日本人も魂の成長が必要なのかもしれない。

彼らが犯罪を犯した訳ではないし、非難している自分たちも一歩間違えばそちら側になる可能性があるからね。

非難するのは簡単だけど、そこを想像できていないよね。

成人の息子がしたことで、親が会見しないといけない風潮というのもおかしい気がする。

日本人には理解しがたい、キリスト教の「赦し」

被害者の親が立ち直るために、加害者側の親に会うのは、キリスト教でいうところの「赦し(罪を犯した人を非難せずになかったことにする)」という大前提があるからなんだろうな。

いつまでもそのことに囚われていては、前に進むことができない。

日本人が思う「許す」と言うことではなく、「赦し」とは自分のために踏ん切りをつけるための方法なのだと思う。

ただ、いくらキリスト教徒であろうとも、加害者側と対話出来る人は少ないだろう。

それより、時間の経過に任せて少しずつ傷を癒やしながら過ごして行く人の方が多いと思う。

この映画を観て考えさせられたが、実際に私なら、どちら側になったとしても対話は出来ない気がする。

ただ、どちら側の視点も想像できる柔軟性だけは持っていたいと思った。

『対峙』煩悩だらけの映画トーク

原題の『Mass』は、「集団、ミサ」などの意味があり、集団に発砲する「無差別銃乱射事件」と「ミサ」(教会の祈りの集まり)を掛けているらしい。

この映画でも、身近でもよく見かける、男女の会話の進め方や人付き合いの違いなどが会話を通してよく見られる。

女性たちはまっすぐにお互いの子供の話を出来るが、男性たちは「経済が」とか「社会が」とか、この場にはとりあえず必要ない回りくどい世間一般的な話しか最初はできない。

いや、その話いらんやろ。と思うような知識のひけらかしみたいな会話がお父さんたちの口から出て、そこにはちょっと笑ってしまった。

それが長い間、社会で戦ってきた男性たちの、「鎧(よろい)」であり、照れなんだろうな。

旅行でも、女性の多くはすぐ隣の人とも軽く世間話ができるが、昭和のお父さんタイプは身構えてしまうのか、世間話が出来ず仲良くなれないまま終わってしまう人も多そうだよね。

今はそういう男性も少なくなってきてるとは思うが、私はこういう不器用なお父さんたちが大好きだ。

「男性は女性を守るもの」として育てられてきたために「女性を弱い者」と見てしまいがちなので、ついセクハラ発言につながることを言ってしまい叩かれてしまうが、そういうことを一切言わないスマートに生きている男の方が全員いいとも限らないと私は思う。

育った環境と時代がそうさせている場合もあるので、その自称スマートな人間たちは、「悪意のあるセクハラ発言」とそうじゃない発言を見分ける力を持っていないくせに叩くからムカつくんだよね。

そういう不器用なお父さんたちは、SNSで叩くなんて卑怯なことはしない。

「男は泣くな」と育てられ、「男は家族を守る者」として頑張ってきた人たちなのだ。

そういう人たちの環境も思いやることが出来ずに、叩くやつの度量の狭さに呆れ返る。

「セクハラやいじめはダメだ」と言うスマートぶってる大人が、公然とSNSやメディアで失言した大人を叩いてる、これこそが「いじめの見本」であり、子どもたちに自分たちが一番悪影響を与えているとは思わないのか、誰も自分のことを客観的に見ないのか、本当に不思議である。

この映画『対峙』は、きちんとその本人に向き合って、なぜそういうことになったのか、そのことについてどういう風に感じたのかお互い耳を傾けて、分かり合うまでは行かなくても、外野から叩くだけではわからないことを知ろうという努力が必要なんだと、今に伝えたいのかもしれない。

育った環境や時代から来る発言や行動を、白黒でカタをつけるのではなく、まずはわかり合うことから始めないと、本当に誰も何も発言できなくなって、お互いが監視し合うつまらない未来が待っていそうで怖いよね。

『対峙』キャスト

@『対峙 (原題 Mass)』(2021年 米)

リチャード・・・・・リード・バーニー

リンダ・・・・・・・アン・ダウド

ジェイ・ペリー・・・ジェイソン・アイザックス

ゲイル・ペリー・・・マーサ・プリンプトン

【2023】ジャスミンKYOKOの映画私的ランキング

1位・・・・・『母の聖戦』

2位・・・・・『SHE SAID その名を暴け』

3位・・・・・『THE FIRST SLAM DUNK』

4位・・・・・『対峙』

5位・・・・・『フラッグ・デイ 父を想う日』

6位・・・・・『ワイルド・ロード』